元コミュ障が、会話のコツを教える
2017年09月27日
かつては1往復で会話が終わることが多かった俺だが、
この方法を身に着けてからは1往復は無くなった。
どんな会話内容であっても関係ない。あらゆる場面で使用可能。
俺はこれを「カイワノミクス3本の矢」と名付けた。
うん
3本の矢とは。
第一の矢・感嘆符
第二の矢・そうですねファミリー
第三の矢・オウム返し
これであらゆる会話に対応できる。
時々見かける会話のアドバイスとして、
こういわれたらこう返す、というパターンを事前に沢山考えておいて覚える
というのがある。
これは全く見当はずれのアドバイスであると言える。
覚えられない、本番で思い出せない、ちょっとでもパターンを外れたら即タヒ。
労多くして得るものなしである。
カイワノミクスは違う。
事前のパターン想定は必要ない。
相手がどんなにパターン外れのことを言ってきても、必ず対応できる。
それでは1つずつ説明していこう。
第一の矢・感嘆符
これはつまり、
「おおー!」「へー!」「えー!」「うわー!」
とかいうやつである。
相手が何か一言言ううたびに、必ずこれを入れる。絶対にだ。
はぇ〜すっごい…
特に感嘆する内容でなければ「はい」「ええ」でもいい。
とにかく相手が何か言うたびに反応する。
これが最も重要である
俺はかつてこれを全く行っていなかった。
なぜならこれらは会話に全く不要なものだと思っていたからだ。
内容に関係ない余計な要素であり、相手の話の邪魔になると考えていた。
それは間違いだった。
それどころか、むしろこれこそが会話の本体といえる。
したがってこの第一の矢が最も重要である。
なるほど…
んにゃぴ…
第二の矢・そうですねファミリー
「そうですね」「そうなんですね」「そうですか」「それな」
とかである。
これは実は凄い言葉である。
これらのファミリーを使いこなすと、自分の意見を表明せず相手の意見を否定も肯定もしないことが可能である。
自分と異なる価値観の人と会話をする上で、大いに役に立つ。
ほんとそれ!
ふーん
それでそれで?
自分と異なる意見、価値観を持った人に対して、即座に相手の意見を否定したりはしていないだろうか。
些細な世間話であっても、論破してマウンティングしようとしてしまう。
「あれいいよね」「俺はあれ嫌い。だって〇〇だし。」
そして会話が止まる。
そうですねファミリーは、そんなあなたの福音となる。
へぇーーー!!うわっ、そうなんですね!それでそれで!?
第三の矢はなんですかっ!?!?
第三の矢・オウム返し
会話の基本はオウム返し。
これは世間でも広く言われている。会話のアドバイスとしては一般的なものである。
しかしコミュ障の人間がいきなりこれを使おうとすると、かなり変な会話となってしまう。
その理由は大抵、第一の矢を使っていないことにある。
そしてコミュ障は、オウム返しは難易度が高くて自分には無理だ・・・となるのである。
繰り返すが、最も重要なのは第一の矢である。
第二の矢と第三の矢は、第一の矢を放った上で、さらに効果を高めるために放つものである。
へぇー、そうなんですね!
第一の矢が最も重要で、第三が難しいんですか!なるほど!
では、実際の会話をみてみよう
「今日はいい天気ですね」
さあ、どう返すか。
コミュ障はここで、なんと返せばいいかわからなくなる。
何を話せばいいのか、相手は何を求めているのか。
頭の中で必タヒに返事の文章を組み立てようとするが、どうにもならない。
そうこうしている間に1秒経ち、2秒経ち、3秒経ち・・・5秒もすれば気まずい沈黙の完成である。
3本の矢に従えば、何も悩むことはない。
「今日はいい天気ですね」
「ええ、そうですね。いい天気ですね」
「ええ」・・・第一の矢・感嘆符
「そうですね」・・・第二の矢・そうですねファミリー
「いいてんきですね」・・・第三の矢、オウム返し
なお、一点だけ注意がある。極めて重要な注意点であるので心してほしい。
それは「残心」である。
弓矢を放った後は、数秒間、そのままの姿勢を保つ、というやつである。
コミュ障の特徴の一つに、いわゆる「ものすごい早口で言ってそう」というのがある。
「ええ、そうですね。いい天気ですね」
も、コミュ障の手にかかれば
「ええそうですねいい天気ですね(ここまで一息)」
となるだろう。
そうではない。矢と矢の間には、1〜3秒程度の残心を入れる。
「ええ(1秒残心)そうですね(2秒残心)いい天気ですねー(3秒残心)」
さて、どうだろうか。
感嘆符はたしかにとおもう
想像してみよう。
「今日はいい天気ですね」
「ええ、そうですね。いい天気ですね」
これは立派な会話として成立している。
そして、特別なことは何も言っていない。
天気がいいから出かけるとか、でも明日の天気予報は雨だとか、天気を無視して今日の昼ごはんの話題に飛んだりとか、そんなことは何も考える必要はない。
相手の言ったままを返しただけで、こちらが追加した内容は何もないのである。
なのに何の違和感もない普通の会話として成立している。
確かに「間」は大切だな
喋りっぱなしの営業に惹かれないのは会話や話し方の「間」の取り方が下手だと思う
なるほどなるほどーー!
間を考えてゆっくり話す
不自然じゃない程度に心掛けてみよっと
たまに為になるスレがあって面白いなぁ
コミュ障は、相手が何か言ったら、それに関連する内容を返さないといけないと思い込んでいる。
そんな必要はない。
相手が言ったそのままを、追加情報ゼロで返すだけで、「最初の会話」は成り立つのである。
そしてもう一度よく見てほしい。
「今日はいい天気ですね」
「ええ、そうですね。いい天気ですねー」
・・・これ、流れ的に次に話すのって相手の番じゃね?
そう、ごく自然に相手ボールになっているのである。
こっちが次に話す内容を考える必要はない。それは相手の役目になっているのである。
これが3本の矢の力である。
会話の下手な俺と会話続けてよ
これ夜中腹減んないっすか?
腹減ったなー(オウム返し)
ですよねぇ?多分
うーん(感嘆符)
この辺にぃ、美味いラーメン屋の屋台、来てるらしいっすよ
あっ?(感嘆符)そうか?(そうですね系の応用)
行きませんか?
いきてーなー(オウム返し+意見の肯定)
行きましょうよ
じゃけん夜行きましょうね〜
おっ(感嘆符)そうだな(そうですね系)
>>
もうちょっと強化してみた。
これ夜中腹減んないっすか?
「おう(感嘆符)、そうだなぁ!(そうですね系)腹減ったなー(オウム返し)」
ですよねぇ?多分
うーん(感嘆符)
この辺にぃ、美味いラーメン屋の屋台、来てるらしいっすよ
あっ?(感嘆符)そうか?(そうですね系の応用) 屋台かぁー!(オウム返し)
行きませんか?
ああ(感嘆符)そうだなぁ(そうですね系)いきてーなー(オウム返し+意見の肯定)
行きましょうよ
じゃけん夜行きましょうね〜
おっ(感嘆符)そうだな(そうですね系)夜行くかぁー(オウム返し)
オウム返ししかしない奴w
ためになる
でもそもそも人と話をするのが面倒なんだ
このやり方使ったら使い続けなきゃならないね
あと、文字にするとちょっとバカっぽい感じになって違和感があるが、実際の会話では語尾を伸ばすのが有効である。
弓道で言えば、矢を放った直後、残心の前の「離れ」に相当する。
>>
仮に、自分もソープ好きだがそれを人前ではかくしていたいとしよう。
人前で堂々とソープ好きを公言する人と会話したとして、
「ソープ行くやつってモテない負け組だよな」 (自分の価値観を隠すために相手の価値観否定)
「ソープ、いいよね」 (相手の価値観肯定のために、自分の価値観まで披露)
これは、どちらも言いたくない。カイワノミクスを使うとこうなる。
「へえぇー、そうですかぁー。ソープがお好きなんですねぇーー。」 (離れを表現するために語尾を伸ばしてみた)
相手の興味を肯定も否定もせず、自分の意見も言っていない。
そして話の流れ的に、次は相手が自分の話の続きを披露する番である。
答えのわかり切っている質問を混ぜるのが、会話のコツだもの。
オウム返しするときに相手の言ったことを簡単にまとめてこうなんですね!とよく言ってしまうのだがそれは良いのだろうか
>>
例えばどんな?
仕事の会話だとそれでいいけど、世間話だと微妙かもしれない。
>>
相手「彼氏が最近私がご飯作るのが当然って感じで何も感謝してくれない。私がそれ指摘するとそんなつもりはないって言うけど、態度に出てる。かと言って私も作るの苦痛なわけではないんだ。作ったもの喜ばれるとこっちも嬉しいしね。けどなんか納得行かないんだよね」
自分「そっか、折角がんばって作ってるのに彼氏さんはあなたへの感謝をちゃんと伝えてくれなくて納得行かないのね。でも作りたくないわけじゃないんだもんね、難しいね…」
とりあえずこう返して向こうがそれは違う、と反論してきたらそれを聞くしそうだよ、と言うとそこから先の解決策考えるなりもっと質問掘り下げるなりする
>>
すまん、見落としてた。今から書く。
>>
>「折角がんばって作ってるのに彼氏さんはあなたへの感謝をちゃんと伝えてくれなくて納得行かないのね。」
ここは凄く早口で言ってそう。分解して残心を入れる方がいい。
3本の矢でいくと、まずはこうなる。
「うわぁーっ(感嘆符)そうなんだぁー(そうですね)それは納得いかないねぇー(オウム返し)」
ここまで。ここで少し長めの残心を入れて、相手の反応を見る。
相手が続きを話し始めた場合は、そのまま3本の矢を駆使して聞き続ける。
相手が話す感じじゃなかったら、続きを入れる。
これは3本の矢の範疇ではないが、残心を忘れずに。
「そっかぁー(残心)折角がんばって作ってるのにねぇー(残心)
感謝をちゃんと伝えてくれないんだねぇー(残心)
うーん(とりあえず感嘆符)、でも作りたくないわけじゃないんだもんねー(残心)難しいね(残心)」
こうすれば、多分最後まで言う前に、どこかの残心中に相手が何か行ってくるはず。
>>
ありがとう。
申し
残心のバリエーションは参考になったよ
ありがとう
>>
そうだな
スレチなこと言って悪かった
さて、そもそも、なぜ相手は
「今日はいい天気ですね」と話しかけてきたのであろうか。
多分、本当は天気なんかどうでもいい。
単に話したかったのだ。
であれば話すモチベーションは向こうの方が高い。
したがって三本の矢を使って流れを止めずに相手にボールを投げ返せば、
後は相手が勝手にまた話を続けてくれるだろう。
向こうから話しかけてきた場合、こっちが話の内容を考える必要はないのである。
そう、この方法、相手が心を開いてくれてることが前提で、相手が警戒してたら成り立たないよね?
>>
ほんとこれ
結局相手頼みだし、相手が話広げてくれること前提だもんな
俺も普段からその三本の矢を使ってるけどその場の雰囲気が悪くならないだけで状況は好転しないし、ましてやそれで仲良くなったり出来ないぞ
>>
特にまだ親しくない異性や営業先の相手には厳しいな
>>
3本の矢は、ナンパや営業の技術ではない。
せっかく相手が心を開いて話しかけてくれたのに、何も返事できず沈黙したり、
そもそも話しかけられないように相手の姿を見たら逃げるようなコミュ障だった俺のための技術である。
数学で言えば、九九のレベルである。
ナンパや営業は三角関数や微分方程式であり、そういう問題は解決できない。
>>
そりゃそうだな
基本の「き」の字ってとこだな
>>
まあそうだな
深刻なコミュ障には役に立つかもなー
会話のイロハのイってとこで
>>
>>
第二、第三の矢になってんで
>>
会話するのが怖いほどのコミ障だけど
今度試してみようかな
わかりやすい説明ありがとう
相手のターンで
相手が黙ってしまったら
どうするの?
>>
それは確かにそう。
警戒している相手との会話はもっと高度なテクニックがいると思う。
もちろん3本の矢は身についていることが前提で。
3本の矢の主なターゲットは他愛もない世間話。
相手が世間話をしかけてくる時点で、多少なりとも心を開いているはず。
>>
それは沈黙で構わない。
会話を止めたのは相手なんだから、多分相手は心の中で「やべー、何か話さなきゃ」って焦っている。
そして何か話題を出して来たら、また3本の矢のターゲットとなる。
こっちから世間話を振るテクニックもあるが、そこまですると本一冊くらいになるので
今回は受け身の3本の矢に絞っている。
でも結局は相手にボールを渡して3本の矢を使える状態に持っていくことになる。
よく「話す内容はなんでもいい」とかいうアドバイスをする人がいる。
これは半分正しく半分間違っていると思っている。
より正確に言うなら「話す内容はどうでもいい」のである。
3本の矢は、話の内容について全く触れていない。
どんな話の内容であろうが関係ない。
つまり会話を続けるうえで、内容なんて、どうでもいいのである。
>>
それは話の「内容」になる。
申し
会話を1往復以上できない人が、何往復もできるようになるため技術なのだ。
往復したうえで、内容を充実させることは、三本の矢の範疇外である。
話し方だよね(´・ω・`)
どうしてその場で思った事をオブラートに包むだけの事ができないのか
1のいうコミュ障って会話の経験がない人なら基礎として有効そうだな
人に対して失礼な物言いをしてしまう人や距離の取り方がわからないタイプ等はまた別だが
>>
人に対して失礼な物言いをする人でも、3本の矢は有効だと思う。
3本の矢を放っておけば、たとえその後に従来通りの失礼な物言いをしても、かなりクッションになる。
「私これ好き」
「俺は嫌い。だって〇〇だから。」
これが3本の矢を使うとこうなる。
「私これ好き」
「へえ、そうなんだー。これがいいんだー。
んー、でも俺は嫌い。だって〇〇だから。」
相手の意見を否定するようなことを言う場合でも、
まず3本の矢を放っておいてから自分の意見を言えば、かなりやわらぐ。
3本の矢を使った例1は「会話のキャッチボール」になっているが、
3本の矢が無い例2は「会話のピッチャー強襲ライナー」である。
今度は自分から会話広げれない症にかかるやつやんそれ
君はこの意見についてどう思う?
という質問が来たらどうすればいい?
>>
それは意見を表明せざるを得ない。
ただしその前に3本の矢を入れる。
Yes/Noで返せない質問に対しては、回答の前に1→3→2の順に矢を放つ。
「あなたの好きな食べ物は何ですか?」
「ええーっと(感嘆符)、好きな食べ物ですかぁー(オウム返し)。そうですねぇー(そうですね)。
・・・・・・(長めの残心)。んーっ(感嘆符)○○ですねぇー。」
ここでのポイントは、3本の矢を入れると考える時間が取れることである。
3本の矢の残心をしっかり入れておけば、それだけで5秒程度は時間が稼げている。
加えて、その後に長めの残心を入れても違和感がない。
答えにくい質問にいきなり無言で考え込むと相手は困るが、3本の矢を入れておけば多少長く考えても大丈夫な雰囲気になるのである。
感嘆符を感情を入れて話せないからムリだわ
>>
感嘆符は、演劇やアニメのような極端な感嘆符のやつを、そのまんま言う練習をすると良いと思う。
ただ「ふにゃ〜!」みたいなのを身につけても仕方がないので、実際に現実に言うようなセリフでかつ大げさなやつを真似する。
本番を想定した練習では、自分の殻は破れない。
現実にはあり得ない極端なリアクションの練習をすると殻が破れる。
それができると、本番では今まで通りで変わらないと自分では思ってても、意外と今までよりできるようになっていたりする。
質問に答えたのにそれに答えないのか
間を適度に入れると相手も「ちゃんと聞いてくれてる」と感じるよね
>>
そう。間はすごく大事。
コミュ障は、間をあけずに早口で最後まで一気に話すことをよくやる。
これは、話しているうちに相手が自分の話に興味をなくしていくのに気が付いて、完全に興味を失われる前に全部言わなきゃ、
という焦りによるものかもしれない。少なくとも俺はそうだった。
だが違った。
間をあけないから相手の興味が持続しないのだ。
相手も第一の矢を放とうと構えて待っているのに、いつまで経っても放つタイミングが無いから、あきらめて構えを解くのである。
間をあけると、相手も矢を放ってくれる。そして次の矢を構えてくれるのである。
ワーキングメモリ
3本の矢は相手が話してくることが前提だが、
逆に自分が話すことになった場合にも考え方は役に立つ。
>>
つまりは残心。これさえ入れておけば、つまんない話でも、相手は一応聞いてくれる。
本当につまらない話だったとしても、残心があれば、相手は話の途中でぶった切って別の話をはじめたりはしない。
残心中にさりげなく口をはさんで、さりげなく自然に話題を切り替えて話始める。
そして相手が話し始めたら、それは3本の矢の出番である。
コミュ力ない俺がまさに今までの人生を通じて得たテクニックで笑う
結局、会話で重要なのは「内容はどうでもいい」ということだ。
ネットでコミュ障の人の悩みとかを読むと「どんな内容を話したらいいのか」ばかりに注目している。
これらは、会話が続かないのは内容が思いつかないからで、内容さえあれば会話が続く、という思い込みに基づいている。
しかし実際に内容を思いついたところで、一往復して終わりである。
だから内容がもっともっとたくさん思いつく必要がある、内容をすぐにたくさん思いつけないから自分はコミュ障である、と考える。
それが誤りなのはもうお分かりだろう。
内容が何であっても、3本の矢が無ければ会話は続かない。そして3本の矢さえあれば、内容はどうでもいい。
コミュ障の想像するコミュ強は、相手から話しかけられたら0.5秒で気の利いた内容を思いついて返す。
んなこたーない。コミュ強でもそんな0.5秒では内容を思いつかない。
しかし3本の矢を使うと、残心などで数秒の時間の余裕が生まれる。その時間があってこそ、内容も思いつけるのである。
街中で他人の会話に聞き耳を立ててみると良い。
会話をしている人はみな、3本の矢を当たり前のように使っている。
というか、使ってない人が、まずいない。
世間一般では、3本の矢を放つことが、会話が成立するための大前提なのである。
凄く参考になった。ありがとう。
まともに会話が通じる相手なら怖くないし
普通に会話できるよ
知りたいのはまともに会話が通じない相手の攻略法なんだよ
揚げ足取ったり最初からバカにする気満々で質問してくる奴な
答えようの無いことを答えろと詰め寄る奴とかな
そういう人間に屈してきたことでコミュ障の烙印を押されるんだわ
>>
それ答えわかる。
結論からいうと「関係をぶち切る覚悟」と「相手と刺し違える覚悟」。
問題なのは、なめられてる関係性。これを解決しないと、コミュニケーション以前の話。日韓の関係みたいなもの。
そもそも、なめてきてるような奴らとはまともな関係もつ必要はない。←ここ大事。
そんな奴らにたいしてはむしろ突き放すべき。コミュニケーションとしては冷たく関わるのが正しい関わり方。
それでも絡んでくるなら全力で拒否。それでも絡んできて限界こえたら、相手を殺して自分もタヒぬ気で。
自分がタヒぬ気なら、たいていの奴は殺れることを理解する。法律無視できるから相手の家に火をつけるとか、いきなり刺すとか。
ようは誰であろうと、命のやりとりする気なら五分五分と理解する
>>
それはそもそも必要なのか?
馬鹿を相手にしなきゃいけない環境になんかいる必要もないし、気にする必要もないじゃん
会話と言うより人間そのものが怖い
相手が喋ってくれる前提じゃないと使えないのでダメダメでしょソレ。
たとえば女子高出身の男慣れしてない女、警戒して黙ってしまう女(でも親しくなったらよくしゃべるぽい)
にどう話しかけてどう仲良くなれるかみたいのがテクニックでしょ
自分から話しかけることができない。
自己開示が苦手。
自分の話をすることができない。
聞き上手は話上手みたいに言われるけど、⇧難しいのは仲良くなる前段階でのコレなんだよな。
まず、これが出来ないと相手の話を聞き出すことすら出来ないんだよ。聞いてもないのに自分のことばかり話すおばちゃん相手にしてるんじゃないんだからさ
コミュ障がこれしか出来ないとなると、単なるつまんない奴にしかならなそうなんだけど?
疲れてる時や頭の回転鈍い時、上司絡みがダルい時はこれでもいいだろうけど日常使いはアウトじゃない?
それではウイスキー水割り飲みますね…
やたらにおうむ返ししてくる人いるけど、こう言うのを実践してるのかな
まず会話することに不快感を感じなくする方法からおしえてくれ
枝葉末節な小手先テクニック論よりも
話しかけるのも話しかけられるのも不快すぎる自分の感情の方が問題だわ
>>
それなら無理に会話しなくていいんじゃないか。
不快を感じ理由の一つに、やっているコミュニケーションの距離感が、自分の本来の距離より近すぎることが考えられる。
仲良くしないとと無理して踏み込み過ぎてるとか、見た目の雰囲気が人当たり良すぎたりなめられてたりしてて相手に踏み込れ過ぎてるとか。で、自分本来快適に感じる距離感が保ててない気がする。
だから、無理して仲良くしようとせず、自然体で会話すれば不快感は消えると思う。
トラウマとか見下し系が原因ならまた違うだろうけど
>>
相手から踏み込まれ過ぎてるという視座はなかったわ
なるほどなー
>>
3本の矢は、相手との距離を調節することもできると思っている。
親友・親子・恋人など、強い信頼関係で結ばれている間柄では、3本の矢を無視しても会話が成立する。
これを便宜的に「心友会話」と呼ぶことにする。
信頼関係がそこまで強くない相手に心友会話をすると、いわゆる距離感がおかしい人、となる。
この心友会話・・・強い信頼関係を前提とした3本の矢に依存しない会話・・・というのは、コミュ障が憧れる会話だったりする。
コミュ障を直したい。人と同じように話したい。よし、うまい人の話し方を真似しよう。
そこでいきなり心友会話を真似ようとする。
しかしコミュ障には、前提となる信頼関係というものが理解できていない。
心友会話をすれば仲良くなれるのではない。
仲良くなったから心友会話ができるのである。
それが理解できておらず、たいして仲良くない人にいきなり心友会話をして、コミュ障と呼ばれる。
3本の矢を使えば、まだ十分な信頼関係のない相手とも、近すぎない距離の会話をすることができる。
レベル低すぎてびっくりした
自称コミュ障()たちは第一声を返すだけでこんなにも会話に思考して苦労してるのか...
俺が3本の矢を身につけた後、最初に効果を感じたのは、近所のおばちゃん相手であった。
道でバッタリ会って話をする機会は数か月に1回程度だったが、いつも向こうから一方的に世間話を仕掛けてきて、
俺はひたすら黙ったまま、わずかにうなずくくらいしかできなかった。ひたすら苦痛だった。
なので一瞬話が切れた瞬間を狙って「あ、すいません、ちょっと・・」といって打ち切り、速足で歩き去って逃げていた。
会話持続時間は、長くてせいぜい30秒程度だった。
3本の矢を身につけた後、そのおばちゃんとの会話で、普通に5分以上続いた。
こっちからは特に何も話していない。ただ向こうが話しをするのに合わせて3本の矢を放っていただけだ。
当時はまだ3本の矢も不完全だったにもかかわらず、この成果が出たことに、自信が付いた。
そしてしばらくして、親戚のおばちゃんから電話が来た。
この人もひたすら一方的に話してくるが、こっちはひたすら無言である。電話なので無言でうなずいても意味はない。
相手から「ちょっと、聞こえてる?」と言われるたびに、「ぅん・・」と返す事しかできない。
ひたすら一方的に話しかけてくるおばちゃん相手でも、会話が続くのはせいぜい3分程度である。
それが、3本の矢で、40分以上話し続けた。電話が切れた後、通話時間を見たときは衝撃を受けた。
こんなに長時間人と話したのは、おそらく人生最長記録である。
そして相変わらず、俺から自発的に話した内容はほとんどない。内容は全て相手任せである。
この2つの出来事により、少なくとも相手側に話をする意思がある場合には、
3本の矢はとてつもない効果があるという確信を得た。
>>
早く終わらせたい会話が終わらなくなるデメリットにしか見えないのは心が汚れているせいだろうか…
>>
会話自体が不快だったり、早く終わらせたいのは、会話が怖いから。
会話が怖いのは、まともに返事が返せないことで、相手から軽蔑されるのが怖いから。
相手から「あれ、こいつまともに人と話しもできないの?頭おかしいんじゃね?人が話しかけてんのにまともに返事しないの?失礼じゃね?人として最低限の礼儀なくね?異常じゃね?生きてる価値無くね?」
と思われるのが怖いから。
「お前失礼だろ。ちゃんと話せよ!」と直接言葉で言われなくても、明らかに困惑している表情を浮かべられるたびに、
「ああ、相手は心の中で俺を軽蔑してるんだろうな」と思ってしまうから。
会話する=人格否定される、になってしまっている。
「あなたとお話したいです」と言われることが、事実上「今からあなたを人格否定します」と同義語になってしまっている。
実際の相手はそんなこと思ってなかったとしても、自分が勝手に「相手がそう思っている」と忖度してしまっている。
3本の矢を使えば、会話が続いている間、相手が自分を人格否定する、と感じる事がなくなる。
困惑する表情を浮かべることもなく、舌打ちをすることもなく、会話が続く。
怖くなくなるので、話しかけられても不快ではなくなる。
不快を理由に早く終わらせたいと思うこともなくなる。
3本の矢を身につけることで、会話に対する価値観そのものが変わる。
コミュ障克服のための第一歩である。(これだけで完全に克服できるとは言ってない)
世の中には、コミュニケーションが上達するためのアドバイスが、溢れている。
ネットでも、本屋でも、色々なテクニックが紹介されている。
しかしそれらのほとんどは、3本の矢を身につけていることが前提である。
3本の矢を身につけてない人がそれらのアドバイスを呼んでも、全く使い物にならないであろう。
時には、見かねた周囲の人が直接アドバイスしてくれることもある。
しかし彼らも、3本の矢は当然身についてるからわざわざ説明する必要はない、という前提でアドバイスをする。
そして最後には
「なんで教えた通りにやらないんだ!教わる気あるのか?やる気ないやつに教えても無駄だ。もう教えない!」
とブチ切れて終わるのである。
ほとんどのアドバイスは、3本の矢は当然身についているという前提からスタートしている。
こんなもの、人間なら自然に身につくものなので、わざわざ教えるものではない、教える必要もない。
だってみんな身についているんだから。
サッカーを教えるときに、二足歩行のやり方から教える人は居ない。だって人間はみんな歩けるんだから。
歩き方から教えるなんて、障碍者じゃあるまいし。
だから、3本の矢を身につけられていないコミュ障は、事実上、障碍者レベルなのである。
3本の矢を身につけることで、ようやく健常者と同じスタートラインに立てる。
世間にあふれるコミュニケーションのアドバイスも、簡単なものはいくつかは試すことができるようになるだろう。
全ては、ここから始まる。
> 会話自体が不快だったり、早く終わらせたいのは、会話が怖いから。
いやいやいやいや…
コミュ力を意識するから余計にキョドるんだろうな
うまく話さなければならないってプレッシャーは
会話をぎこちなくさせる
コミュ力って単語がコミュ障を増やしてる気がするわ
なんか今の世の中っておかしいんだよ
重要なのは相手が信用できるかどうかであって
口下手かどうかではないんだけどな
玄関先で巧みなトーク力で物を売りつけようとする奴が来たら
普通に怖くね?
詐欺師にしか見えない
でも最近詐欺師みたいな話し方の奴増えてんだよな
いかにもそういう訓練されて話してるって感じ
不気味なんだよ
あの…あの…って奴の方が逆に安心するわ
こいつ嘘つけない奴だなって思えるから
>>
心理学テクニック関してはその通りだと思う。
しか
特にガチアスペの場合、定型が自然に身に付けるコミュニケーションスキルを獲得出来ないこともあるらしい。
代わりに理詰めでコミュニケーションスキルを身につける人もいるとか
大事なことを忘れていた。
女性と仲良くなるのには使えない、という指摘があったが、その指摘は全く当てはまらない。
3本の矢こそが、女性と仲良くなるコツである。
不倫は文化、で著名な石田純一は、
「へぇ」「そうなんだ」「すごいね」
の3語だけで女性と2時間話を続けることができるという。
元AKBの高橋みなみは、
「ふ〜ん」「なるほど」「大変だね」
の3つだけで女性からの相談は全てが収まる、という。
これはまさに3本の矢の理論である。
女性にもてるためにも、3本の矢は必須なのである。
>>
石田純一は多少疑問は残るけど高橋みなみとかしゃべらなくても異性が向こうから寄って来るんだから参考にならないのでは
女性からの相談の話みたいだよ
女の人は基本的に自分の話しをしたいからね