日本人のほとんどの英語学習者の英語運用能力が低いのは多読しないからだ。
2013/03/24
このことを理解してないやつが多いのは呆れる。
夏目漱石『現代読書法』より
「英語を修むる青年はある程度まで修めたら辞書を引かないで
無茶苦茶に英書を沢山読むがよい。
少し解らない節があって其処は飛ばして読んでいっても
ドシドシと読書していくと終いには解るようになる。
又前後の関係でも了解せられる。其れでも解らないのは滅多に出ない文字である。
要するに英語を学ぶ者は日本人がちょうど国語を学ぶような状態に
自然的習慣によってやるがよい。
即ち幾変となく繰り返し繰り返しするがよい。
ちと極端な話のようだが之も自然の方法であるから手当たり次第読んでいくがよかろう。」
関口存男というドイツ語学者がいた。
この人はドイツ語が専門だがフランス語も一時勉強していた。
その方法が多読。
多読していたが聞く話すは出来なかった。
アテネフランセに入ったとき始めはまったくフランス語が聞けなかったそうだ。
しかし、多読のおかげで急速に聞けるようになった。
実力を認められて1年語にはそこの仏語教授になった。
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1916年、陸軍を休職して上智大学に入学。1917年、上智大学に籍を置きつつアテネフランセに入学。驚異的なスピードでフランス語をも身につけ、わずか1年後の1918年2月、アテネフランセ初等科の仏語教授となる。
英語の達人と呼ばれる人達は多読した人が多い。
新渡戸稲造は多読しすぎて視力を失いかけた。
斉藤秀三郎は学生の頃図書館にあった英書をほとんど読んだという。
多読用の素材としてアメリカの小学校の教科書ってどうです?
理科、社会科、とかの。
ただサンプルページ見ると文法・構文的には簡単な英文だったので読解力向上には向かない?
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なんかアメリカの高校の教科書まるまる売ってるよね。ネイティブと同じ教養を英語で学ぶべき云々とかいうふれこみだったような。
最初に文法の知識がある程度ないと「多読」はできない。
つまり、「精読」しなくても理解できる文章が多く含まれていないと「多読」はできない。
よって、「英語は『多読』で自然と身に付く」というのは幻想である。
要するに777氏は、知識に誤りがあるのみならず、論旨を読者に納得させる情報量が不足している。
だから、推論に誤りが生じる結果となり、偏見と独断の塊のような空論になっている。
反省など全く無く、あるのは反省しない馬鹿に対する高飛車な非難だけである。
>>
そんなもんあたりまえだろ
多読は、基本は身に付けたあとの話だろ
第二言語学習者の間では多読における付随的な語彙の学習は習得率が低く不適切であることがわかっている (e.g., Horst, Cobb, & Meara, 1998; Laufer, 2003; Waring and Takaki, 2003; Zahar, Cobb, & Spada, 2001)。
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これは、多くの専門家から言われているね
多読において耳慣れない言葉をとばすことは語彙知識の増大にはほとんど貢献していない (Stahl, 1999)。
多読において意味を推測することは、誤った推測に頼るという危険を伴い (e.g., Nassaji, 2003; Parry, 1991)、
語彙の定着に対する効果も疑問視されている (e.g., Folse, 2004; Laufer, 2003)。
多読のみで2000語を学ぶには、約29年かかる(Zahar, Cobb & Spada 2001)。
29年多読して2000ワロタwwww
多読は新しい知識の獲得のためではなくすでにある知識を自動化・効率化させるために行うもの。
それにしても29年は衝撃的。
「英語ができるようになりたい」という気持ちの中には
どんな英語でも、興味の赴くままにすらすら読めるように
なりたいというのは、入っていないのかね。
英会話さえできれば良いという人はあまりいないとは思うが.....
それなら、学習初期の段階で多読をやるべきだと思う。
多読をやらなければ、英語学習者のままで終わってしまって、いつまで
たっても読めない人で終わる危険性が大。
それに、仕事で役にたつ英語は、まず第一に、実用的な
読み、書きの能力であり、それには多読の効果は絶大です。